頼ることっていけないこと?依存は悪いこと?
 どうなんでしょう。どう、思います?

 僕は、人は依存しなくちゃ生きていけないし、頼ることをしない生き方は現実的ではない、と思います。

 例えば、酔っ払い。彼らは赤提灯の中で何をしているのか。何って?そりゃ酔っ払っているんですよ。酔っ払って、仲間を相手に上司の悪口やら、自分の自慢やら、取引先の不満やらをしたり聞いたり、相槌うったり。どれも現実の世界でそのまま出したらヤバイんだよね。だから赤提灯の仲の酔っ払いの世界ってところで発散する。これは他の形でも行われている。音楽が趣味な人は音楽、ガーデニングの人やスポーツという人もいるでしょう。でもなんらかの形で酔ったり、没頭したり、発散したり。
 人はそういう風にいろんな杖を使いながら、スパイスの効いた現実と向き合っているんじゃないかな。きちんと自分を再生産すること。これはとても大切なんだ、と思うんです。
 
 現実は不満があっていい。

 だからお休みが欲しくなり、酔いが欲しくなり、仲間が欲しくなる。
 毎日ハッピーだとそれが普通になって、ハッピーはハッピーじゃなくなっちゃうよ。

 ふかひれを毎日食べたら、ふかひれはありがたい料理じゃなくなっちゃうってことだと思うんだよね。不幸は幸せの裏返し。辛いを知っているから、甘い味がわかる。辛さをしっているから、嬉しさを感じられる。不満のある現実、そんなグレーソーンがある現実感を大事にしたい。

 

FC2blog テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

【2008/01/23 22:50】 | 未分類
トラックバック(0) |
「死は悲しいものであってはなりません」
僕の尊敬する、ある女性の遺言です。60歳を前に病でお亡くなりになりましたが、とても素敵な雰囲気の方で、太陽のように明るく、暖かな人でした。
深い言葉だな、と思います。「死」という厳然たる事実の中で、「別れ」「喪失」などの悲しさに目を向けるか、それとも時の流れの中で、その人と出会い、共感し、共有できたことに目を向けるか、とても難しい。でも、僕は出会えたことに目を向けたいのです。あなたに出会えて幸せでしたよ、と。
 若かりし頃にも友人をなくしました。20歳でした。悲しいけど、悲しむだけじゃきっと彼女は納得しないだろうなぁ、と思うのです。悲しむだけの存在なら、私が生きていた意味は何なのよ!ってね。だから未だに思い出すし、考えます。こういう時、彼女ならどう言ってくれるかな、どうするかな、と。

 「死にたい」という言葉をよく聴きます。一般にでも聴きますが、心の臨床に携わっているのでなおさらよく聴きます。
 でも「死にたい」はあり得ない、という話もあります。なぜなら、自身で「死」は経験したことのない、きわめて曖昧なものであり、wantという強烈な欲求としてはあり得ないからです。自傷癖というものがありますが、その倒錯の延長に位置づけられていたり、楽になるんじゃないか、という漠然とした考えがせいぜいというところでしょう。おそらく大事なのは「死にたいくらいの辛さや絶望があるよ」ということ。なくなっちゃいたいのは私ではなく、私が直面している辛さや絶望なのかな、と思います。ここに理解が及ぶと少しずつ変化が起こっていく、そんな実感があります。「死にたいってどういうことなの?なんか良いことあるの?」等と突っ込むと何かしらの手がかりが得られる(「楽になりたい」「いいことがない」等、「死」自体が欲しいのではないことがわかる)ことがあるけど(つまり死で自分に起きることはわからんからね)、これは相手との関係や、こちらの面接スキルによるだろうから、お勧めしません。
 
 じゃあ、つまり「死」ってなんなのよ、って思うんですけどね。よくわからないんです、はい。ま、経験できるのは一度だし、その感想はフィードバックできないからね。結論とすれば、少なくとも僕はまだとっておきたいかな。だってそれはいつでも選択できるものだから。少なくとも相手にも簡単に選択してほしくはないですね。だって、やっぱり悲しいもの。悲しいものではあってはなりません、って言われてもね。
 少なくとも僕はそう考えます。

FC2blog テーマ:スピリチュアル・ライフ - ジャンル:ライフ

【2008/01/22 00:18】 | 未分類
トラックバック(0) |
 自分に自信がない。他人の評価が気になる。
 そんなことってよくあります。僕もそうです。なんか自分を肯定する材料を見つけたいけど、どうやっても上には上がいる。
 僕の好きな作曲家、ガーシュインを巡ってある逸話があります。
 シェーンベルクに教えを請うガーシュインに対して、シェーンベルクが返した言葉が「あなたを二流のシェーンベルグにすることはできるかもしれないが、あなたはすでに一流のガーシュインではないか」と、いう内容だったとか。
 そうだよなぁ、と思いました。周りばかり見ていると、そちらがよく見えてしまう。確かに良いのだけど、僕にだって味がある。頭の回転が鈍くて、決して器用ではないけど、見た目も良いわけじゃないけど、そんな僕だから安心したり、からかったり、親しくしてくれる人たちもいるのだ、と。僕が背伸びして無理して、傷つきながら僕らしくない風にしても、本当に自分を大切にしてくれている人たちはそれを望んでいないだろうし、他人と違うから僕の存在価値があるのだ、そう思ったわけです。
 すごいことや立派なことはそういう人に任せておけばいい。そういう人はそういう人なのだし、そういう努力の積み重ねが僕の知らないところであったのかもしれない。そういう時間や才能や努力を飛び越えて、相手をうらやましく思ったり、自己卑下したりするのは相手に失礼だし、随分あつかましい話だよな、と気づいた。
 「他人と違う自分って何だよ?自分のできることなんてみんな出来るんだから意味ないじゃん」なんて反論もあるかもしれない。でも、それでいいと思うんですよ。出来る程度はばらばらだし、そういう色々な要素の集まりが「私」なわけで、それがどういう味か、ということだから。その味がまずくたっていいんです。まずい私がいるから、引き立つ人がいるのだから。みんな良かったら、みんなすごくなくなっちゃうわけじゃないですか。すごくない、きわめて大勢の存在がすごい人というのを支えているわけですよ。それはすごい人たちにはできないことですよね。
   僕は僕らしく、すごくもなく、立派でもなく、淡々とやっていこう。落ち込んだり、喜んだりしながらね。そう思えたら、辛いときも苦しいときもあるけれど、なんとかやっていける気がします。一流の自分を目指したいものです。

FC2blog テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ

【2008/01/14 01:07】 | 未分類
トラックバック(0) |
 あけましておめでとうございます。
 新年初めての日曜日。明日からいよいよ仕事も本格始動、という方も多いのではないでしょうか。なんか気が重いような、楽しみなような、複雑な心境です。
 さて、今悩みごとがひとつあります。我が家は新築一戸建てでもうすぐ5年になろうとしています。あることがきっかけで、もしかしたら、引っ越して新しく家を建て直すことになるかもしれません。隣接する土地を売りたい人がいるのだけれど、我が家かもう一件別のお宅かどちらかどかないと道がないのよね。近所への配慮を含め、ある程度いい条件が整うならどいてもいいかな、と思ってます。
 結構悩んで建てた家だけど、暮らしてみると不満が以外とあるもの。今ならもっと素敵な家が建てられるとおもうんだよねぇ。
 で、今建築について勉強中。断熱などは勉強すればするほど、従来の内断熱が良いのか、外断熱が良いのかわからなくなります。
 もしかしたら、このブログ、家作りブログになるかも〜。

FC2blog テーマ:日々のできごと - ジャンル:ライフ

【2008/01/06 21:59】 | 未分類
トラックバック(0) |
 突然ですが、今まで内容を削除し、内容を変えました。と、言っても大して中身があることを書いてきたわけではないのですが。新年を迎えて心機一転、くらいのノリなので・・・。
 今まで訪れてくださった方には感謝です。今後ともよろしくお願いします〜。

【2008/01/06 21:47】 | 未分類
トラックバック(0) |